キミが刀を紅くした

 それからしばらく俺と旦那は仕合った。俺の息が切れても旦那は平然としていたし、俺の汗が額を伝っても旦那は気にもしなかった。だから俺はこのまま旦那に殺されるんじゃないかと本気で心配し始めたんだが。

 いよいよ死ぬと思った一撃に、俺は初めて旦那の隙を見付けた。このまま刺し違えるつもりでいけば勝てるかもしれない。そう思って、俺は本気で旦那を殺しにかかった。



「そこまで、です」



 いつの間にか俺と旦那の間に入り込んでいた瀬川の兄さんが、俺の刀を刀で止め、大和屋の旦那の刀を草履で蹴り受けていた。

 よく見れば薄い鉄が入っている様だ。この人はなんて草履をはいているんだろうか。物騒と言えば物騒な代物ではないか。



「瀬川の、兄さ」



 心臓が早い。俺は息を整えようと深呼吸をしようとするが息を深く吸うことさえ出来ない。それを見かねた瀬川の兄さんは俺の背中をそっとさすった。

 大和屋の旦那は早々に刀を鞘に納め、その様を見下ろしていた。俺の息が落ち着いてくると今度は筒に入った水を差し出してくれる。準備が良いったらない。



「すいません。ありがとうございます」


「いいえ。それにしてもやっぱり沖田さんはお強いですね。その太刀筋、惚れ惚れしました」


「え?」


「今度俺とも是非、仕合って下さい」



 瀬川の兄さんはきらきらした目で俺をみる。まるで子供みたいだ――あぁ、そうか。これが多分、土方さんにはない所なんだ。

 俺が少し笑っていると大和屋の旦那が嘲るように笑った。瀬川の兄さんは不快な顔一つせず旦那を振り返り、口を開く。



「お前ばかり狡い。丑松殿とも仕合った事があるんだろ。俺だってやりたかったのに」


「馬鹿言うな、命が幾つあっても足りねぇよ。沖田もそんな誘い受けんなよ。馬鹿を見るだけだぜ」


「どういう意味ですか、それ」


「死んでもいいならやってみろ。俺は止めねぇからな」



 旦那は少しだけ離れた所まで行くと、座り込む。それを良しとしたのか瀬川の兄さんは楽しそうに俺を見てきた。俺は願ったり叶ったりと言わんばかりに刀を抜いて。

 早々に後悔した。


 同じく刀を抜いた瀬川の兄さん。旦那と同じくらい強いんだろうかと思っていたが残念ながら旦那は秤にならない。たぶん土方さんも無理だ。兄さんはまだ微笑んでいるのに俺の手はなぜか恐ろしくて震えた。


 瀬川の兄さんは小さく一礼をすると構えもせずに俺の方へ向かって来た。



「うわあ!」



 一瞬だけ視界から兄さんが消えたと思ったら、彼は忍の様に低姿勢で俺の懐に入っていた。死ぬ。あぁ、これはやられる。そう思った俺の脳裏を過ったのは、さっき大和屋の旦那がやっていた海老逃げ。俺は咄嗟にそれを真似て、瀬川の兄さんから距離をとった。

 冷や汗が止まらない。



「なんて人だ」



 俺は呟く。だが瀬川の兄さんにはそんなちんけな言葉なんて届かなかった。気付けば彼は刀を構えて俺にそれを振りかざしていた。速いなんてそんなもんじゃない。この人の体勢の立て直しは異常だ。隙はない。



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