キミが刀を紅くした
笑いが止まらなくなったのは俺だけじゃなかった様で。瀬川の兄さんも力を抜いてけらけらと笑い始めた。その様子を怪訝そうに眺めていたのは乱闘を止めた旦那一人だ。
「あー、可笑しい」
「はははっ、本当に」
「笑うの止めねぇとお前ら殺すぞ」
「出来るもんならやってみろよ」
旦那は凄んでみるけれど瀬川の兄さんには効かないらしい。諦めて俺と兄さんを解放してくれた旦那はその場に座り込んで頭を抱えた。それを見て俺と兄さんも地面に座る。
笑いも落ち着いた所で地面に手を付くと、激しい痛みが走った。そう言えば俺の手は瀬川の兄さんの刀を止めたのだったっけ。
「痛みますか? 菌が入らないうちに手当てをしなければいけませんね。本当に申し訳」
「あぁ、謝るのはよして下さい。こんなもんただの掠り傷ですよ。それよりまあ、旦那の言いたい事が良く分かりましたよ」
「馬鹿を見たろ?」
「最高に見ましたね」
あり得ないぐらい瀬川の兄さんは強い。そして刀で物を語る凄い人だ。土方さんとの違いはここにあるんだろうと思う。俺は多分、いざとなれば黙ったまま土方さんを殺せる。
けど瀬川の兄さんは無理だ。
「でも、これで覚悟は決まりましたよ。俺が裏切る方はやっぱり幕府――新撰組の方だ」
「沖田さん」
「だから悪いけど新撰組には帰りません。偵察しろってなら働きますけどね。瀬川の兄さん、改めて頼みます。幾らこき使っても構わねぇんで。俺を傍に置いてください」
「それは勿論、大歓迎ですが。でも、本当によく考えて下さいね。俺は沖田さんが今まで世話になった方を殺すかもしれないんです。その修羅の道に誘っているんですから」
「沖田」
旦那が立ち上がる。
「俺も村崎も戯れ言を口にしてるんじゃねぇぜ。俺たちはもう無くすもんなんてねぇが、お前は逆だ。無くすもんしかねぇ」
「そうだな。考えればそうだ。俺も大和屋も確かに身一つしかないから無くすものはないな。ははっ、無くすとしたら友人だけだ」
「お前が死ななきゃ無くさねぇ」
「それはお互いだ」
瀬川の兄さんも立ち上がったので俺は立ち上がろうとした。だが右手に力は入らない。立ち上がれない。これからあの二人に付いていく事がどれだけ厳しいかを体現した様で、何だが悔しかった。だが俺は決めたのだ。
瀬川の兄さんについて行きたい。
どんな道だろうがついて行きたい。俺はそれしか考えていない。勿論、辛い道なのは分かる。俺が土方さんに殺されるかもしれない。近藤さんに捕らえられるかもしれない。
「俺は」
もう一度痛みを堪えて立ち上がると、立ち上がれた。瀬川の兄さんはそれを見て少しだけ微笑む。旦那は相変わらず無愛想だ。
「俺は瀬川の兄さんからもっと学びたいんですよ。ついでに旦那からもね。だから得るものはたくさんある。失うより多いですよ」
「ついでとは何だ」
「ちなみにお二人はどっちが強いんです?」
俺の問いに二人は顔を見合わせる。
「村崎だろ」
「いいや、大和屋かも」
「まあどっちでもいいんですけどね」
お前だお前だと言い続ける二人を放って、俺はさっさと家に帰った。俺の憧れる男、瀬川村崎の家に。
(02:裏切りの始まり 終)