キミが刀を紅くした
大和屋の旦那は橋の下にいた。ただこちらを見ている様な、そんな感じで立っていた。
「大和屋の旦那?」
訳が分からず俺は一歩旦那に近づいた。
「沖田さん、相当酷な事を頼みますが、どうかしばらくの間、大和屋をお願いします」
振り替えると瀬川の兄さんは笑った。
「俺が死ぬと困るかも知れませんから」
介錯人が瀬川の兄さんの目を隠した。
「すいませんが、慰めてやって下さい」
刀が彼の首に触れた。
「――瀬川の兄さん」
俺の声は彼には届かなかった。ごとりと落ちたその首を眺めながら俺は立ち尽くす。全身に立った鳥肌が消えなかった。悪寒が足元からぞわりと俺に襲いかかる。脳は思考を停止した。感覚だけが研ぎ澄まされている。
ぐらりと瀬川の兄さんの身体が倒れた。
俺は介錯人がそれを片付けるのを見た。救えなかったもどかしさと自分の不甲斐なさが胸を突き破ろうと俺を殺しにかかっている。
「なんで」
彼が殺される必要があるのか。確かに瀬川の兄さんは人を殺した。紅椿でも世荒しとしても。だけど俺はもっと殺した。紅椿でも新撰組でも沢山、彼よりもっと人を殺した。だが罪を負って殺されたのは瀬川の兄さんだ。
しかも、ただ、一人だ。
凄まじい虚無感が俺を支配した。この世はどうかしている。世を直したいと思う瀬川の兄さんの思考がようやく理解できてきた。だが同時に思い出したのは土方さんの言葉だ。
「侍って不憫なもんだな」
前を見なければいけない。
俺は大和屋の旦那に近づいた。立ち尽くしていた旦那。近づくと影に隠れていた顔が見えてきた。そして俺は瀬川の兄さんの言葉を思い出す。慰めてやってくれ、と。
「大和屋の旦那」
だがはっきりと彼の顔が見えた時、頭に浮かんでいた慰めの言葉は全て消え去った。
大和屋の旦那は子供の様に顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたのだ。まるで音が消えたみたいに声は殺されて息さえ聞こえない。歯を食い縛り、目を細め眉間にシワをつけて。
彼は泣いていた。
悲しみだけが彼にあった。
「旦那」
ぐっと、俺は自分の拳を握りしめた。
旦那の涙で全て分かった。俺たちは――この世は殺してはいけない人を殺したのだと。
(03:我儘の未来は 終)