キミが刀を紅くした
「アレはただの噂だ。最近紅椿の噂が絶えなくなってるから、一応世を静める為の策なんだが……」
「なら誰も捕まってないって言うんですか。新撰組が逃がしたと噂されちゃバツが悪いんですがね」
「人の噂も何とかって言うだろ。紅椿の件でごちゃごちゃやってる間に事件は違う場所で起きる」
もっともな事を言う大和屋だが彼は何も答えちゃいない。いつもそうだ。奴は好き勝手する癖に何も教えちゃくれないのだ。
こっちは聞いているのに。
「――触れ書きが出たろ。紅椿を見つけた者に一人三百両か何かの賞金掛けた、例の御触れだ」
「出たな。今朝に」
「噂はアレと同じだ。幕府が世間の為に動いてるって見せつけてぇんだろーよ。噂の出所は新撰組だと、慶喜殿は言っていたし」
つまり幕府が紅椿を使って株を上げ様としているのだ。新撰組はそれに便乗した形で噂を立てた。否、実際、らしき情報はあるのだろう。ありすぎているだけで。
大和屋はため息をつくと同時に煙を吐き出した。鍛冶屋はまた一段と煙たくなってしまった。
「今回の事は下手すりゃ、俺よりも土方の方が詳しいかもな」
「じゃあ、そこら辺の事情は改めて土方さんに聞いておきます」
沖田さんは立ち上がってポケットを探る。そしていつからあったか分からない水羊羹を土産に、と大和屋に手渡した。手を振った彼はそのまま去ってしまった。
残された俺は、遠くから大和屋の仕事振りを見てやろうと目を凝らした。だがその手は動かない。
「村崎」
「何だ」
「茶、飲むか?」
俺は静かに首を振る。
「そうか」
大和屋はそわそわしている様子だ。自宅の癖にキョロキョロ辺りを見渡す姿は、島原に足をいれた俺の様で少しだけ滑稽だった。
俺は投げ捨てられた鎚を拾って大和屋にそれを手渡した。彼はそれを受けとるなりまた刀を打ち始める。カンカンと音が響く。
「帰るよ、俺は」
「なあ、本当にごめんな」
鍛冶屋は刀を打ちながらうわ言の様に呟いた。だが俺はその言葉は聞こえないふりをして、来た時と同様に大和屋の敷居を跨いだ。