キミが刀を紅くした
大和屋を出た俺は腰に下がる刀を見た。名刀、芥生流水。この刀では未だ誰も斬った事がない。
しかし近々斬らねばならない。紅椿と言う名の人殺しと化す為にはこの刀も、残念ながら血を浴びなくてはならないのだ。
「村崎」
声に振り返るとそこには刀を抱えた大和屋が立っていた。俺が驚きの余り突っ立っていると、奴は俺に並んで歩き始めた。
何のつもりだ、との言葉も出ない。呆れた。人の話を一切聞いていなかったのだな、こいつは。
「おい大和屋、まさかそれ持って家まで来る気じゃないだろうな」
「そのつもりだ、何か問題か」
彼には節度と言うものがない。その上言い出したら聞かない頑固者だ。俺はため息を吐いて家の有り様を思い浮かべた。あぁ汚い。
だが鍛冶屋に比べればマシか。
「野暮な事を聞くが、お前いつから紅椿なんてやってたんだ?」
「さあ……随分、前からだ」
「丑松殿が、お前は俺を紅椿に入れる為に嘘をついたと言っていたが。そのつもりだったのか?」
「そんなわけねぇだろ。吉原あいつ適当な事ばかり言いやがって。俺はお前を紅椿から遠ざける為に慶喜殿と会わせたんだぜ」
「だが近付いたぞ」
「俺の思う所じゃねぇんだ。慶喜殿にしてやられた、何て一市民がそんな言葉使っちゃいけねぇが」
大和屋はため息と共に街から足を踏み出した。振り返ると灯火がほんわりと京の街を彩っている。
俺はそれを視界に入れてから再び家へと歩き出した。大和屋は相変わらず俺の前を歩いている。
大和屋宗柄。紅椿の統治者。徳川に仇を成す者を消し去る役目を担う者。俺の古い友人で、しがない鍛冶屋の主人。そして心に計り知れない闇を抱える男である。
「慶喜殿に頼まれたのだから、もう文句は言わないさ。俺も紅椿で働く。だからお前も謝るなよ」
「だが、村崎」
「言うな。これ以上何か言うなら家に来たって門前で追い払うぞ」
賢い犬の様に黙り込んだ大和屋を見て、俺は堪えられなくなった笑みを溢した。すると何故か釣られた奴も笑い出す。どうだろう。
これで少しは晴れただろうか。奴のくだらなく深い闇が。