キミが刀を紅くした
眼が夜の暗闇に溶け入りそうになった時、俺は戸の方で物音を聞いた。鍛冶代金の代わりに飯を食わせろと言った大和屋は、飯の最後の一口を静かに飲み込んだ。
俺たちは静かに目線を交わす。そして何も言わずに刀を抜いた。
がら、と引き戸が鳴る。
「あぁ、何だ。服部か」
大和屋は両刃刀を鞘に納めてまた飯を食おうと箸を持った。だが最後の一口は数分前に終わっているのを思い出したらしく、再び箸を置く。俺はじっと彼を見た。
なぜ分かるのだ。
俺は刀を鞘に納めた。戸が開いた音以外に人を判別する様なものはなかったはずだ。それに、そのぐらいで人が判別出来るものか。
だが来たのは彼の言う通り、服部半助と言う忠実な忍だった。
「そんなに驚く事か、村崎」
「驚くさ。足音がしなかったんだぞ。やはり厳しい修行を積んでその様な歩行を会得したのか?」
戸惑いながら頷く彼は、目をそらしたまま桃色の文を俺と大和屋に手渡した。俺はそれが何か知らずに首を傾げる事しか出来ない。
大和屋は眉間にシワを寄せた。
俺は中身が気になって半助殿に伺いを立ててから封を切った。中には白紙の便箋と紅椿の花びらが一枚入っているだけなのだが。
「……これはもしや?」
「主より御預かりした紅椿の文。これより二週の間に西崎龍之助とその妻露子を暗殺せよ。動機は徳川幕府への反乱活動によるもの」
反乱活動と言うのは、攘夷の事だろうか。夫婦で幕府に反乱するなんてたいした方々である。だがそう呑気にものを言っている訳にもいかない。殺すのだから。
俺は便箋を手にしたまま、土方さんが言っていた言葉を思い出した。後戻りは、もう出来ない。
「主からの言伝は以上。確かにお伝えした。期間は二週間だ」
彼はそう言うなり、姿を消してしまった。後に残ったのは戸を閉める少し乱暴な音だけだった。