キミが刀を紅くした
元々薄暗い鍛冶屋である。日の光もあまり入って来ない暗い家。そんな所に入ってきた一人の男。
俺は奴の顔を知っていた。
「お初にお目にかかります。姓は沢田、名は操。京の閑鹿館のしがない歌舞伎役者で御座います」
訂正だ。顔と名を知っていた。閑鹿館と言えば小さな舞台屋敷だが沢田操と言えば京で知らぬ者はいない程の所謂、千両役者だ。
そんな男が風呂敷を背負って鍛冶屋へ何の様があると言うのだ。
「此度は貴方にお頼みしたい事があって参った次第で御座います」
「千両役者がしがない鍛冶屋に何用だ? 刀をくれってんなら」
「私が色街のおなごと京を出る為の道筋を作って頂きたいのです」
色街の女と駆け落ちか。それは許される話ではないだろうな。いわば誰からも好かれる月が法の届かない闇夜の蝶を捕らえまいとしている様なものではないか。
その邪魔くさい逃げ道を確保してくれと、どうして街の鍛冶屋がそんな事をせねばならんのだ。
俺が答えを渋っていると、沢田は風呂敷を背から降ろして土床に額をつけた。覚悟はあるらしい。
「無理だと言うのは重々承知。だが貴方以外に頼める人はいない。どうか頼みます、この通り」
「俺以外にいないって、俺は人逃がしなんざやった事もねぇぞ。何だその理解出来ない根拠は」
「鍛冶屋の主人ならこの話、きっと何とかしてくれるとある方が」
「ある方?」
吉原か? だがこの手の話なら俺より奴の方が上手く事を運ぶだろう。それにあいつは色街島原の番人をしている。遊女を連れ出すからには何か関わるはずだが――そもそも連れ出さんか。
だが沢田は吉原丑松ではなく俺の予想しない名前を出して来た。
瀬川村崎、と。
「島原の女を連れ出そうってんなら、それなりの覚悟がいるぜ。無傷じゃ出られないだろうな」
「……大和屋殿、じゃあ」
「村崎の友人なら仕方あるめぇ。だが保証はないぞ。話し合って解決する問題でもなさそうだしな」
「かたじけない」
沢田は深く頭を下げながら何度か俺に礼を言った。不思議なのは村崎がどうして千両役者と知り合いなのか、ただそれだけだ。