月の恋人
「ほ…… これは失礼。お嬢さん、こちらへおいでなさい。」
視線に気づいたのか
老人があたしを呼んだ。
どこか緊張を緩ませる、深くて、温かい声だった。
「……あの…」
そろりと進み出ると、
カウンターにコーヒーを出された。
カップから立ちのぼる湯気。
よく見ると、老人の後ろには
色とりどりのカップとソーサーが、展示物のように並んでいた。
ここに入った時、懐かしいと感じたのは、古い建物に染み込んだコーヒーの匂いだったのかもしれない。
ここは、…喫茶店?
老人は目を細めて言葉を紡ぐ。
「ふむ…見ない顔じゃの、名前は?」
「…………陽菜、です。………桜木、陽菜と言います。」
「…桜木?」
「ほうほう」
あたしの名前に
男と老人が同時に反応し
一瞬、空気が動いた。
肩を掴まれる。
「もしかして、君…」
―――その時
バーカウンターの横にある奥の扉が、勢いよく開いた。