拝啓、親愛なる眠り姫へ
「…唐突にどうしたんだよ」

「言いたくなった。今さらって思うだろうけど」

 空のグラス片手に立ち上がり、ドリンクバーに向かう…その背中は何を考えているのか俺には見当もつかない。

先を越された。その空虚は告白に対するのものか、単に空のカップを満たす機会へのものか。

 まさか、聞くことになるとは思わなかった。よりにもよって今、おそらく、一生。カップの取っ手を掴む指先に力が入る。

「帆高」

 コーラでグラスを満たし、見下ろす奴の顔は泣き笑いのようで。「ごめん」だなんて聞きたくなかった、そんな言葉など。

「困らせるつもりは、無かったんだ」

「別に困ってなんかない。そんな顔して、よく言うな」

「帆高だって、人のこと言えない顔してるくせに。でも、これくらい許してくれよ」

 許すだなんて、あったものではないだろう。俺たちには似つかわしくない概念だ。お前は決して悪くなどない、そして俺は許されやしない罪をお前に押し付けてきた。

俺を許すな、たとえお前が俺を恨んでいなくとも。いっそ憎んでくれ。それこそが俺の罪悪感を肯定する、唯一の救済なのだから。都合の良い、勝手な自己保身だとしてもだ。

「てかさ、知ってたよな。いつ気づいた?」

「…中1の終わりごろか。あいつを見る目が、明らかに変わった。友達とも保護者とも違う、どこか熱を帯びたような」

「うん、意識しだしたのも丁度そのぐらいからだった。バレンタインのチョコ、手作りだった時マジで嬉しかったな。さすが、よく見てるよ。俺のことも、珠結のことも」

 お前の方は気づいていたのか。義理だと明言したアレには淡い想いが込められていたことを。

俺以外にあいつを下の名前で呼ぶ男は二人だけ。その特別さを照れ臭いような、それでいて飴玉を味わうような甘い満足感を抱いていたのに気づいていたのは俺しかいなかっただろう。

 …こいつでさえも、無知なままだった。

 珠結本人でさえ、その感情の正体を知らなかったと思う。いや、知ろうとしなかった。無意識に手放して捨て去ってしまった。

あの頃すでに珠結を蝕む眠り病は、誰にも何にも止められないまでに、孤独な眠りの底へと突き落とし続けていた。

『私は普通じゃないから』

 寂しげな横顔は数える程しか見せなくとも、幼い頃から陰で何度も諦めてきたのだろう。

 無自覚で鈍感な珠結にその感情を何と呼ぶのか、教えてやったならば。または俺が珠結から距離を置いて奴に隙を与えていたならば。果たして二人は結ばれたのだろうか。

俺だけが取り残されて、二人が同時に離れていく。予感しつつも意図的に引き離した俺は、何て友人失格なことか。だからこそ、その罰を天が下したのだろうか。俺から彼女を奪い去るという、唯一無二の極刑を。

「帆高って最強の存在がいても。玉砕して、これからも友達でって言われるとしても。伝えておけば良かった、って悔やまれるんだよ。まさかあんなにも早く、さ。ああ嫌だな、いつまでも経っても堪えるよ」

 そんなに親しくなかった異性の同級生の葬儀に心なしか微妙な面持ちの友人達から一人離れ、じっと遺影を見つめていた横顔。棺桶に花を供えるために俯いた瞬間にこぼれ落ちた一滴。

こいつは今もなお、抱え込んでいるのか。しがみついて離さない俺と、同じなのか。それとも、

「俺さ、来週からアメリカ行くんだ。まあ、仕事の事情ってやつ。5年は向こうに住むつもり。んでもって、いい加減に人生の伴侶ってのも、本腰入れて探してみよっかなって。そもそも国籍どうこうは構わないしな」

置き去りにして、進むのか。その瞳に一点の迷いも曇りも無かった。

「…そうか、気を付けて行ってこいよ。でもお前、中学の英語の成績2じゃなかったか。よく行く気になったな、本当に大丈夫なのか」

「そりゃ話が出た時は迷ったし、断ろっかなと思ったよ。何日も悩んだし親や同僚にも相談してみた。賛成も反対も同じくらいで、どっちの意見も納得できた。でもさ最終的に、今しかないなら行くっきゃないって思ってさ。今後また、こんな機会が巡ってくるとは限らないし。それに…」

 俺はもう、後悔したくないんだよ。

その一言が俺の胸に深く突き刺さった。

「…なあ、帆高。お前はどうするんだ?」
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