世界を敵にまわしても
「何か、ちょっと印象違うね」
そう先生が言って、自分が部屋着で化粧っ気がないことに気付く。
「気のせいだよ」
苦し紛れに答えると、先生は「夜だからかな」と微笑んだ。
……でも先生。月が出てるよ。
ほのかな月明りが、先生の端正な顔に影を作っている。
全身があわ立つほど綺麗で、存在感があるのに。今の先生は消え入りそうなほど脆く見えた。
「……先生?」
ここにいることを確認するように呼び掛けると、先生はただ柔らかく笑っただけだった。
好きだと感じる前、まだ嫌いだと思ってた頃に感じた時と同じ表情。
ヘタクソと言った時に見せた、まるで声を失ったみたいに、口元と目元だけで、静かに微笑んでいる。
それだけで、事故も左手の欠陥も、先生には大きなことだったんだと分かった。
……音楽の教師になりたかったんだから、やっぱりピアノが弾けないのはツライのかな。
この前の授業でピアノを弾く先生は、ほんとに楽しそうだったから。
恐る恐る手を伸ばして、先生の胸に顔を埋める。
笑顔が、あまりにも寂しそうだと感じたから。今度はあたしが、それを埋めてあげようと思って。
自己満足かもしれない。でもそうせずにはいられなくて、黙ってあたしを抱き締め返してくれた先生に涙が浮かんで、広い背中に腕を回した。
先生の過去をまたひとつ知れた夜。
何も喋らず、ただお互いの温もりを分け合うだけの時間を、月だけが見ていた。
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