世界を敵にまわしても


グラスの中のワインを揺らしていた零さんは、結局飲まずにグラスを置いた。


代わりにまたあの瞳であたしを飲み込もうとする。


スポイトで一滴一滴、毒を垂らしてくみたいに。


「分かる? そんな人が、突然ピアノを弾けなくなった時の気持ち」


絶望感で溢れてるでしょうねと言えば、満足するんだろうか。


天才と呼ばれた先生がピアノを弾けなくなったら、もう終わりだって言いたいんでしょう?


だけど、自分は先生のことを支えられるって言いたいんでしょう?



――ふざけないでほしい。



「天才はいるだろうけど、天才だと言われる人の中にだって、必ず努力した人はいるよ」


零さんを睨んで言うと、あたしはテーブルの下で拳を握った。


好きだから努力をして、努力をしたから結果が出て。


結果が良くなかったら悔しいし、良かったら幸せになる。あたしはそういう気持ちを、知ってる。


先生だって知ってるはず。


ピアノが好きで、努力したことだってある。先生が自分で言ってたことだ。


寝る間も惜しんでピアノを弾いてたって。友達と遊ぶより恋愛するより、ピアノを弾いてる方が楽しかったって言ってた。


だから、ピアノが弾けないことはツライ。きっとまだ、弾きたいと思ってる。


努力型とか、もとから天才だとか。そんな区切りはいらない。

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