1ページの沈黙
………あたしは、欲情している。
「波多野」
「波多野ってば!」
呼んでも反応がない男の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。
ワックスの類がついていない黒髪は、さらさらと子供のように柔らかい。
「…何」
髪をいじるのに夢中になっていると、不機嫌な男の声がした。
コイツの第一声を聞くのは、至難の業だ。
どうにも口数が少ないから、喋らせるまでに時間がかかる。
「何ってことはない」
「じゃあ呼ぶな。バカヤロウ」
何。
何よ何よ。
コイツ機嫌悪いわけ?
波多野の分際で、生意気だ。
「アンタにバカヤロウなんて言われたくないわバカ」
「そういうリカが一番バカだ」
「バカバカ言うなバカ」
「バカバカ言ってんのはお前だ」
そう言って、波多野の視線は手元の文庫本に戻っていった。
分厚いそれは、波多野のアイデンティティー。
本はコイツの趣味であり、勉強であり、友達だ。
昔っから本ばっかり読んでた。
あたしには全く理解できない。
そう。
波多野は理解できない男だ。
だって、あたし。
こんなにバカバカ言われてんのに、コイツの隣にいるのが一番好きだ。
波多野はわけわかんない。
波多野に触れたいと思うあたしも、わけわかんない。