汝、風を斬れ
キュアは海を見たことがない。森に囲まれたセリスの首城に生まれ育ち、そこから滅多に外に出なかったのだから。
「大きな湖…」
そう呟いたキュアをジンは喉の奥で笑いながら、とても愛おしく見つめる。馬車はジンの故郷、シュトゥーヘンの都に向かっている。
白い壁の家が通りに沿って立ち並ぶ。大きな窓は花と布で飾られ、そこから溢れるほどの人々が異国の王女を歓迎した。
「ねえ、ジン」
「はい」
まだ近衛の口調が抜けないジンを、キュアはクスクスと笑った。ジンは少し困った顔を作る。
「何ですか」
「ううん…素敵な国ね、シュトゥーヘンって」
「ありがとうございます」
ジンはにこやかな顔になった。
「あなたにまだまだ見せたい物があるんです。だから」
ジンは手元の燭台の火を消した。
「早く寝ましょう」
共に寝ても、体の深い所には触れない。
黒は闇の色。赤は血の色。緑は……あなたの色。空は闇、血の上に浮かぶあなたは、もう光らないその目を開けて静かに笑っている。
私はあなたの名前を呼ぶの。でも喉の奥に何かが詰まって、声は掠れる。
それでもあなたはこちらを見てくれた。そして笑ったまま、その赤い液体に沈んでいく。笑ったまま、沈んでいく。