ヒロシマ1945 綾美とまな美
三人が病院を探している時の広島の街は地獄だった。
爆心地500m圏内では閃光と衝撃波が殆ど同時に襲った。
巨大な爆風圧が建築物の大半を一瞬にして破壊した。
木造建築は全数が全壊し、鉄筋コンクリート建築である産業奨励館は垂直方向の衝撃波を受けて天蓋部は鉄骨を残して消失、一部の外壁を残して大破した。
相生橋や元安橋の石の欄干も爆風で飛ばされた。
また強力な熱線により屋外にいた人は、内臓組織に至るまで全身の水分が蒸発・炭化。
苦悶の姿態の形状を示す、「人の姿をした炭」が道路などに大量に残された。
爆心地を通過していた路面電車は炎上したまま、「人の姿をした炭」と化した遺骸を乗せて慣性力で暫く走り続けた。
吊革を手で持った形のままの人や、運転台でマスターコントローラーを握ったまま死んだ女性運転士もいた。
爆心地での生存者は極僅かであるため、詳細な実態報告は少ないが、投下直後は一寸先も見えない闇の世界であったという。
原子雲と爆風で舞い上げられた大量の粉塵が太陽の光を完全に遮断したためである。
その闇の中で、高温に熱せられた木造建築物等の発火が始まった。
野外で建物疎開作業中の勤労奉仕市民や中学生・女学生等は隠れる間もなく大量の熱線をまともに受けた。
勤労奉仕に来ていた生徒が全員死亡した学校も多かった。
また彼らは熱線直後の爆風で数メートルから十数メートル吹き飛ばされ、地面や構造物に強く叩きつけられて昏倒した。
建物の内部にいた者は熱線の直撃からは逃れられたものの、強力な放射線からは逃れられなかった。
また次の瞬間に襲った爆風により、爆心地より2キロメートル圏内の木造家屋は一瞬にして倒壊、瓦礫の下に閉じ込められ、自力で脱出した者、もしくは誰かに助け出された者の他は、熱線により起こった家屋の火災に巻き込まれて焼死した。