幕末異聞―弐―
零章
春の穏やかな海を一隻の木造船が航行している。
「…どけ(どこへ)いくのですか?」
ある男は船の中でみすぼらしい格好の男を見つけた。その姿は、袴こそ履いてはいるが、見た目は乞食そのものである。
しかし、その乞食のような風体の男。どうも惹きつけるモノがあるように思えたので意を消して話しかけてみた。
「おお!旅のお方、ちょっと聞きたいんじゃが、京都はどっちにいったらええんじゃ?」
変な風体の男は話しかけてきた男に対し、真っ黒に汚れた顔を向け、威勢良く返事をした。
「…おはん(あんた)、どっから来たんだ?」
「江戸じゃ!」
話しかけた男は一瞬自分の耳を疑った。
「…ここは鹿児島じゃ」
そう、この船は鹿児島から本州に向けて航行する定期便の中だったのだ。
「あ!そうかそうか!!全然清水寺が見えない思っちょったけ、わしは鹿児島まで来てしまったんじゃな!!あはははッ!」
常人なら最早笑い話にもならないような事をぼろぼろの男は平気で笑い飛ばす。
やはり只者ではないようだ。
「ところで旅の方!おんしゃ、どこまで行くんじゃ?」
唐突に笑うのを止め、唖然としている男に対し、質問する。
「オ…オイも京都に用があって「そうかー!!じゃあ一緒に行くぜよ!わしはどうも方向音痴らしくてな〜。いつもなかなか目的地に着かんのじゃ!」
(いや方向音痴にも程があるだろッ!!)
話を遮られた上、一緒に京都まで行かなくてはならなくなってしまった事に、男はこの変な奴に声を掛けた事をひどく後悔した。
「おんし、名は?」
旅の仲間が出来たことに大変喜んだ変な男は、笑顔で問いかける。
「…オイは薩摩藩の西郷隆盛」
西郷は、この男に反論するだけ無駄だと思い、腹をくくって自分の名前を明かした。
「西郷さんか〜!なるほどなるほど。おっと!申し遅れた。
わしは坂本龍馬じゃ!よろしくの」
誰にでも好感を持たれる様な笑顔で半ば強引に西郷と握手を交わす坂本。
不気味なほど静かな海は、偶然出会った二人の人生をどう案じているのだろうか?
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