幕末異聞―弐―
「さあ、私たちは交代の人が来るまで頑張りましょうか」
「…めんどくさ」
楓は、首の力を抜き見事な快晴の空を仰いで目を閉じた。
生い茂った沢山の草や樹木の匂いが嗅覚を通じて楓の心を落ち着かせる。耳には風に乗って御囃子の笛や太鼓の音が聞こえていた。
(この見張りって隊務を除けばめっちゃいい日やな)
「楓」
突如沖田に名前を呼ばれ、現実に引き戻される。
「ああ?」
どうせ下らないことだろうと思い、楓は空に顔を向けたまま適当に返事をした。
「好きな人とかいないんですか?」
「…なに?!」
楓は首がおかしくなりそうなくらい思いっきり顔を元の位置に戻す。いきなり頭を持ち上げた事によって視界には星が飛んでいる。
「だから、好きな人ですよ!」
普段会話をする時と変わらない口ぶりで楓に問う沖田。ふざけているわけではなさそうだ。
「…熱でもあるんか?」
「失礼な!到って健康です!」
楓には沖田の口から出た“健康”という言葉が引っかかったが、ここでは何も言わない。沖田はそんな楓の事など知るはずもなく、話を続ける。
「ほら、私たちこれから本当に忙しくなるじゃないですか?
だから好きな人とかいるんだったら色々伝えられるのは今だけかなって思いまして」
「…そんな余計なこと考えてどうすんねん?もう子供やないんやから好きなやつがおったり妻子がいたりするやつは自分で期を見て行動できるやろ?!変なとこに気い利かしても仕方ないで」
楓は本当に困ったという表情で沖田を睨む。
「それはそうですけど。楓はその期というものを逃しそうな気がしたんです」
「あんたはほんま失礼なやつやな!!」
「ははは!冗談ですよ!でも、本当に何か伝えたい人がいるんだったら今伝えた方がいいですよ?いつ死ぬかわからないですからね!」
沖田は楓の怒る様を嬉しそうに見て笑う。