幕末異聞―弐―
新撰組が続々と祇園の町会所に集結しているとは露知らず、周囲を気にしながら目塞笠を被った桂は、三条小橋・池田屋の戸を叩いていた。


「ようこそおいでやす」

滑りのいい戸を開けて出てきたのは、腰の低い中年の男。店の紋が入った濃紺の前掛けをかけている所から、おそらくこの男が店主であろう。桂は、被っていた笠を上げて店主と向き合った。

「主人、誰か来ているか?月の位置を見ると、俺は早く来過ぎたようなのだが…」

この時、桂の予想は当たっていた。彼が池田屋に着いたのは、約束の時間より早かったのだ。

吉田の文には、池田屋を貸し切って会合を行うと記されており、この店に誰かがいるという事は、自然に今夜の会合に出席する同志という事になる。しかし、池田屋の店主は首を縦には振らなかった。

「まだ誰も来ておられません。部屋は準備しておりますので、よろしければ上がってお待ちください」

細く年季の入った目を更に細めて、店主は桂を玄関に招き入れようとしている。

「いや、俺は済ませておきたい用があるので少し出かける。また来るよ」

桂は手を胸元に上げ店主の計らいを断った。

「さいですか。ではまた後ほどお待ちしておりますぅ」

「うむ」

店主は体を二つ折りにするように深々とお辞儀をして去っていく桂を見送った。


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