幕末異聞―弐―

――ヒュッ

「!」

沖田の顔の横を振り下ろされた刀がスローモーションで過ぎ去っていく。
全ての感覚が研ぎ澄まされた時のみ体感できる現象を沖田は生まれて初めて経験していた。
浪士の苦悶に歪む顔、飛び散る涙と汗。
全てが止まって見える。

(斬られたのか?)

神経を視覚に集中させた沖田には、自分の身に何が起こっているのか把握できない。
敵の刀がゆっくりと目の前を通り過ぎると、今度は黒い何かが飛散した。

(…血?)

これまでに何秒あるいは何分かかったのかもわからない沖田は、反射的に持っていた刀で浪士の脇腹から逆袈裟に斬り上げた。


「…ぐっあぁぁあ!!」

浪士の苦しむ声で、ようやく沖田の時は動き出した。
あまりの痛みに畳の上を転げ回る浪士。おそらく、どんな迅速な手当てをしてももう助からないだろう。
沖田は咄嗟に自分の体に傷がないか調べたが、かすり傷一つなかった。

「ゲホッゲホ…ふ…」

急に襲ってくる咳の度に痛む肺を押さえて、少しでも楽な体勢を取ろうと沖田は俯く。

「!!?」

苦しさから来る生理的な涙で歪んだ沖田の視界に、黒々とした塊が映し出された。
その塊は、月の明かりで所々淡い青色に光っている。

(これ…知ってる)

沖田は肺を押さえていた手をゆっくりと後頭部に持っていく。



< 186 / 349 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop