幕末異聞―弐―
二階へ駆け上がった楓は表階段近くの部屋から順に中を確かめていく。
「…っ」
鼻を覆いたくなるような濃厚な鉄の臭い。暑さで血が蒸発して空気自体を血の臭いに変えていた。
何処を見ても死体が転がっている。
本物の地獄絵図である。
楓は、水色や青の羽織を着た浪士の屍を一体一体確認していく。万が一だが、二階に上っていった二人という可能性もある。
羽織の色に敏感に反応する楓。しかし、三部屋と廊下を見ても近藤や沖田らしき死体はなかった。
「…静か過ぎるな」
楓の歩く廊下には、耳をつんざくような金属音も足音すらも聞こえない。
頻りに左右を見ながら裏階段近くの欄干を伝って、楓は最後に残った奥の部屋に歩いていく。
「!!」
何かを察知した楓の足が止まる。
(声?)
楓は、常人には聞き逃されてしまうような微かな人の声を聞き逃さなかった。
(苦しそうな声。間違いない!)
残る部屋はあと一つ。
大太刀の鍔に親指を掛けて赤く染まった廊下を走り出す楓。息を殺して気配を察知されないようにそっと壁に張り付く。
「?!」
開け放たれた出入り口の影から部屋を覗いた楓の視覚には、俄かには信じ難い光景が飛び込んできた。
何体もの屍が転がる部屋の隅でもぞもぞと動く影。その傍らには無造作に置かれた細身の刀。
(あれは…総司の刀!!)
「総司ッ!!!」
ありったけの声で楓は沖田の名を呼んだ。だが、覆いかぶさる影の横に投げ出された色白の右手は全く反応しない。
「死ねーー!!!」
黒い影は地獄から響いてきたかのような低く、どす黒い声で唸っている。
楓はそこで今の状況を理解した。
――沖田は首を絞められて意識を失っているのだ。
楓は重い大太刀を投げ捨て、猪の如く沖田を襲う黒い物体に向かっていく。