幕末異聞―弐―
「は…ははは!痛いやないか」
顔を苦痛に歪めて左の上腕二頭筋を右手で押さえる楓。右手の指の間からは幾筋にも分かれた血の川が止まる事無く流れ続けていた。
楓は吉田の懐刀で利き腕を斬られたのだ。
「馬鹿な奴だ」
吉田は楓の血で汚れた懐刀を捨て、無表情で負傷している楓に歩み寄る。
「折角一思いに殺してやろうと思ったのに」
共に戦って朽ち果てた仲間の屍を避けて歩く。
(…ふん。そんな簡単に死んでたまるか!)
血の道を作りながら、楓は慣れない右手に刀を持ち替えて後ずさる。その間にも、腕の血管からはドクドクと血が漏れていた。
――ガキッ…キーーーン!!
楓との間合いを一線越えた瞬間、下段から胴を斜め上に斬り上げる吉田。楓はなんとか受け流し、畳に手を突き体重を乗せ、左足で吉田の足を払う。
体重を支える足のバランスを崩した吉田に、楓は大太刀を突き立てた。
「うぐッ!!」
右太腿に刺さった刀を抜くことが出来ないまま、吉田は血を吸って変色した畳の上に顔面から倒れる。
「はー…はぁ…」
既に桃色だった唇は肌の色と同化し始め、足元が覚束なくなってきた楓が放った混信の一太刀。
手にはもう何も握られておらず、元々一本差しの楓は本当の丸腰となってしまった。
「う……くうっ!」
足から刀を抜こうと吉田が体勢を立て直している間、楓も左腕の止血をしようと懐を探る。
(こんな所でこんな使い方するとは思わんかった。堪忍な、芹沢)
出陣前に懐へ忍ばせた“誠”の隊旗を取り出し、楓は口と右手を使って器用に負傷箇所を締め付けた。