幕末異聞―弐―
「吉田稔麿?」
聞き覚えのない名前に近藤は手の平で顎を摩りながら首を傾げる。
「以前知人に聞いた事があります。
かつて、萩の国にある『松下村塾』の塾頭・吉田松陰という人物があの米国との通商条約で勃発した幕府の弾圧により死罪になった。
そして、吉田稔麿とは、その松陰の教え子だったそうです。松下塾では吉田を始め、高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎などの倒幕派の指導者になり得る人材が揃っていたそうです」
山南は自分の知っている限りの吉田に関する情報を話した。
後に“安政の大獄”と呼ばれたこの弾圧は、幕府の権力者であった井伊直弼が、天皇の許可を貰わないままアメリカと通商条約を結んでしまった事により起こった。
伊井は、この条約を結んだことに異議を申し立て、尊王攘夷を主張する者を片っ端から江戸の牢獄に入れ、死罪を宣告したのだ。
この弾圧により死罪となった尊皇攘夷論者は百人以上と言われている。
吉田松陰もその中の一人であった。