幕末異聞―弐―
「…それは、何処の方言だ?」
きっとこの答えを聞けば、その名を持つ男か否かわかるはず。
「海の向こう。とでも言っておくかの」
間違いない。
不思議な風体、酷い癖毛。異国の言葉。予測は確信へと変わった。
「そなた、土佐の坂本龍馬か?」
「んあ?」
長州藩邸でも常に話題に挙げられる人物。英吉利との貿易商『海援隊』を牛耳る男。大胆な発想と行動力で人を魅了するという噂であったが…。
「おお!おんし、わしを知っちゅうがか?!いや〜、なんだか照れるのー!」
見るからにひょうきんそうなこの男が本当に坂本龍馬なのか、些か不安ではあったが、こんな所で対面したのも何かの縁。名乗っておくくらいしておいた方がいいだろう。
「俺は長州藩士・桂小五郎だ」
「…ん?桂?」
締りなく顔を赤らめていた坂本が急に真剣な顔つきに変わった。癖毛を弄りながら困ったような顔をしている。人の事を言える立場ではないが、とても精悍とは言えない表情だ。
「おっ!!思い出した!桂小五郎かぁ。そうかそうか、おんしが桂か〜。あははは!」
突然笑い出したかと思えば両肩を容赦なく叩かれ名前を連呼される。全くわけが解らない。
「いやな、がけ(前)に吉田稔麿に会った時に、おんしといっさん(一度)話してみたらいいって薦められてな。会ってみたいと思っとったんじゃ!」
「…稔麿が?」
まさか坂本の口から稔麿の名前が出てくるなんて思っても見なかった。あの日の夜が一瞬頭を過る。
「…吉田は、死んだかえ?」
「ああ」
「宮部は?」
「死んだ…のだろうな」
あの夜、池田屋から脱出できたものはごく数名。朝方には会津藩と壬生狼が中に残った死体を藩邸に運んでしまった為に、長州の方では身元確認すらできなかったのだ。無論、稔麿の亡骸も葬ってやることは叶わなかった。