幕末異聞―弐―
事は半刻前に遡る。
午後の稽古の指南役に当たっていた永倉は、もう一人の指南役、沖田と共に道場に向かった。
「あらら。やる前からのびてるのが五人」
最早、転がっている隊士を道場の入り口で数えるのが永倉の日課となっていた。隊士が道場の床で気絶している時、そこには必ず特定の人物がいる。
「楓、頼むから力加減を知ってくれ…」
それは永倉の切実な願いだった。入隊当初から、稽古をさせれば毎回重傷者を出す楓に、指南役を務める者を始め楓と一緒に稽古する隊士は困り果てていた。
自己流のお世辞にも綺麗とはいえない剣術だが、今までの戦績は全戦全勝。正に無敗なのだ。
(また広間に運ぶのか…)
憂鬱な気持ちで気絶した隊士たちを見ていた永倉の隣を、今まで黙っていた沖田がすっと通り過ぎていった。
「おとといは六人、昨日は八人、今日は五人ですか…」
倒れた隊士たちを器用に跨いで、壁に立てかけてあった竹刀を手に取る。
「少し怠けすぎじゃないですか?」
そんなものじゃないだろう?とでも言うように首を傾げ、楓の前に立った沖田。
「はっ!今日は沖田先生が稽古つけてくれるんですか?」
「ええ。私、剣術を疎かにする人は大嫌いなんです」
底抜けの明るい沖田の声だが、目は笑っていない。永倉を含め、楓と沖田を遠巻きに見守っていた隊士たちの背筋は凍りついた。
「うちは、指南役サボって馬鹿みたいに菓子食っとる上司は嫌いや」
「ふふ」
「くっくっく」
不気味な二人分の笑い声が、呼吸音一つ聞こえない道場に響いた。