幕末異聞―弐―
六章:桝屋喜右衛門
――四条河原町
ここに一軒の枡屋がある。
老舗とまではいかないが、諸藩御用達の店ということで、各藩からの信頼も厚く、大分繁盛していた。
この店の主人、喜右衛門は本日、待ちに待った客を出迎えるため、忙しなく店内を歩き回っていた。
「枡屋よ、何をそんなに動き回っているのだ?」
店の入り口に掛けてある小豆色の暖簾を分ける男。男の声が聞こえた瞬間、喜右衛門は機敏に反応し、小走りで男に近寄る。
「いやいや宮部殿!!遠路遙々ご苦労様でございました。して、先生は…」
商人の癖なのか、手を擦り合わせながら宮部の左右後ろをしきりに探す喜右衛門。
「ふっ。せっかちな男よの。先生ならちゃんとお連れした」
宮部は入り口から横にずれ、暖簾を抑えながら背の高い男を店内に導く。
その男は、体格からすると決して強そうには見えないが、切れ長の目には、確かな闘志が漲っている。
店の中に入った男は、気品溢れる態度で、喜右衛門に対し丁寧に挨拶した。
「初めまして。私は長州藩藩士・吉田稔麿といいます。今日から何かとお世話になると思いますが、よろしくお願いします」
「お…お待ちしておりました吉田先生っ!私はこの枡屋の主人で、町では喜右衛門と名乗っております。是非、先生の尊王攘夷論をお聞かせ願いたいと思っています!」
喜右衛門は商人である自分に対し、身分に関係なく律儀に挨拶する吉田の態度に感銘を受けた。
「おいおい!それよりも先に、例の物を先生に見せたらどうだ?」
吉田の横に控えていた宮部が、吉田に熱い視線を送る喜右衛門を苦笑しながら呼び止める。
「おお!!そうでした!いや〜、申し訳ない。お二人ともどうぞ中にお上がりください!」
店内から一段上がった所にある十五畳ほどの奥間へと二人を案内する。
そこは喜右衛門が寝食をしている場所でもあり、部屋の真ん中には囲炉裏があった。