幕末異聞―弐―
「奴が近々、長州藩士で倒幕過激派の吉田稔麿と接触するかもしれないという事で、我々はここで見張っているのだ」
齋藤が沖田の羽織の袂を引っ張り、自分にも見せろと主張する。
「ああ!この前重役会議で言ってたあの人ですね!なるほど〜。それで、まさか私もその監視をお手伝いするなんてことは無いですよね…?」
沖田は苦笑いで二人にいい返事を求める。
ただひたすら中年男を監視する自分の姿を想像して、沖田は全身に鳥肌が立った。
「「この任に就いてからほぼ寝てないんです」」
切実に訴える二人の目の下には見事な隈が出来ていた。その姿を見た沖田は一歩退いて閉口する。
「…どうぞ寝てください」
哀れな二人の姿にかける言葉はこれ以外に無かった。
二人が座敷に横になったのを確認して、沖田は仕方なく喜右衛門の監視を再開する。
「おじさんなんか見たって楽しくも何とも無いや…どうせなら太夫の方を見よう」
「ちなみに太夫の名は氷雨(ひさめ)太夫です」
「…ありがとうございます」
寝ていても何から何まで抜け目の無い山崎に憧れすら抱く沖田だった。
(氷雨太夫か…。綺麗な人だなぁ)
朱色の着物の全体にはに金の糸で鶴の刺繍がしてある。きっと位の高い者のみが袖を通す事が許された代物なのだろう。
沖田が溜息の出るような舞を披露する氷雨太夫に見惚れていると、偶然、彼女と目が合ってしまった。
「あっ…」
焦った沖田は咄嗟に体を窓から離し、体勢を低くして様子を伺う。
(あれ?なんだ?)
隠れる前に一瞬見えた氷雨太夫の表情が気になる沖田。
「何で…驚いてたんだろう?どっかで会ったの事あるかなぁ…?」
沖田が見た氷雨太夫の表情は明らかに困惑と驚愕が入り混じったものだった。
しかし、しばらくして目的の部屋を覗いても氷雨太夫は先ほどと同様に美しい舞を踊り続けていた。
「気のせいか」
沖田は、それから真面目に監視を続けたものの、この日は吉田が現れることも無く、喜右衛門は普通に娯楽をしに来ただけだったようだ。