幕末異聞―弐―
(怒られたらどうしよう…)
藤堂平助の体は震えていた。
会議や定例報告以外ではなかなか入る機会のない部屋に呼ばれた事が原因だった。
事は半刻ほど遡る。
昼食も食べ終わり、道場で部下に剣術指導をしていた藤堂に道着も着ないで近づいてくる一人の隊士がいた。
彼が入ってきた刹那、道場の空気は一瞬にして凍りつき、稽古に励んでいた隊士たちは全ての動きを止めてひたすら目で動きを追う。
たった一人の隊士にここまで視線が集中する理由。
それは、道場にいきなり現れたこの隊士、鬼の副長・土方の小姓だったのだ。
この珍事には流石に落ち着いた性格の藤堂も焦った。竹刀を持つ手の平にはじっとりと手汗をかいている。
「土方副長がお呼びです」
まだ若い、活き活きとした声が道場内に響く。
土方に呼ばれるということは“切腹”か“厄介な任務”の話しだと隊士の中には植え付けられていた。
誰もが自分の前には止まらないでくれと祈る中、土方の小姓の足が止まったのは…
「お……おお、俺?!!」
戸惑う声をよそにコクリと頷く小姓。土方に呼び出されたのは、藤堂平助であった。
「そこまで急ぎの用ではないので、用を済ませてからでいいそうです。では、失礼します」
質問は受け付けないとでもいうように深々と頭を下げて、小姓は颯爽と走り去っていった。
「……嘘ぉ」
「「「「「……」」」」」
藤堂が部下たちに目を向けても、誰一人として合わせようとしない。
「…俺何もしてないよ~?!」
「「「「「…」」」」」
「無視かッ!!!」
藤堂は、今にも泣き出しそうな顔で目を逸らす隊士たちを見るが、何の反応も返ってこない。
「薄情者―!!もういい!!出てってやるッ!」
――バンッ!!!
壊れそうなほど勢いよく扉を開けて防具を着けたまま道場を飛び出す藤堂。
「く…組長!」
「「先生!!」」
藤堂の驚きの行動に残された隊士たちは一応呼び止めてはみるが、当然藤堂の足は止まらず、自室のある方向に向かって歩いていってしまった。