隠す人
「・・・してるつもりですが」
痛みに顔を歪めながら反論する二宮の言葉には、何の説得力もない。
佐伯課長は、言葉を重ねた。
「大切なものを守るためには、何かを犠牲にしなきゃならないときだって、あるんじゃないか?」
「おっしゃってる意味が、分かりませんが」
佐伯課長は、周囲を見回してから、声を潜めた。
「二重帳簿の件だ。お前、証拠をつかんでるんだろ」
「・・・」
二宮は、佐伯課長と目を合わせない。
無表情のまま、宙を見ている。
「悪いことは言わない。持っている資料を、全部処分しろ」
「・・・」
「二宮!これは、課長命令だ」
「私は社長の秘書です。この件は社長から直に指示を受けたものです。あなたの指示に従う義務はありません」
「その社長は、もういないだろ」
「・・・」
二宮が厳しい表情を浮かべ、黙り込む。
「二宮。調査資料を、全部処分しろ!きれいごとを言ってる場合じゃない!お前のため、会社のためだ」
「・・・きれいごとを話しているつもりはありません。わたしはただ・・・社長の意志を測りかねているだけです。それさえ分かれば、私はそれに従うまでです」
その意志が、善であろうと悪であろうと。
二宮は、社長の意志に異論を唱えるつもりはなかった。
自社の不正行為を公に晒し、警察の処分を受けるという「善」。
その事実を闇に葬り去るという、「悪」。
「善」は一方で、会社の信用を損ない、膨大な数の社員と下請け企業の安定を揺るがすという意味では、「悪」だ。
「悪」は反対の意味で、「善」にもなり得る。
一島社長は、正しいことを愛する人だった。
同時に、自分の決定によって影響を受ける人々に対する並外れた責任感も、持っていた。
「善」を選ぶか、「悪」を選ぶか。
一島社長は、苦渋の決断を迫られていたに違いない。
どちらを選んでも、不思議はなかった。
問題は、一島社長がどちらを選んだのかを誰も知らない、ということだった。