雪花-YUKIBANA-
桜子は僕の手の甲に、そっとキスをした。
そして空気を切り替えるように言った。
「そろそろ仕事行かなくちゃ、まずいんじゃない?」
「いいよ、今日はずっとそばにいる」
「お父さんまで不良になっちゃダメじゃん」
彼女が困ったように笑うので、僕は仕方なく立ち上がった。
配膳の時間が過ぎた廊下は、ひっそりと静まり返っていて、
薄墨で塗ったように暗かった。
まるでどこか知らない場所に続いているような、異質な空間に見えた。
ふいに不安になって、僕は振り返った。
「もしも、どちらかがいなくなったら――」
なぜか分からないけれど、口をついて出たのはそんな言葉だった。
「――そのときは、俺たちの恋もそこで終わるのかな」
「終わらないよ」
桜子が言った。
「あなたのことが、心の底から好きなの。
だから、終わりなんてない。
――世界中の誰よりも、何よりも。
拓人が大好きだよ」
僕もだ。
僕も、同じ気持ち。
世界一桜子を愛してる。
思わずベッドに駆け寄って、キスをした。
彼女の唇の形。
まつげの長さ。
温かい肌。
それらすべてを確かめるように。
そして僕はそっと体を離し、病室を出た。