忘れられない人
閉店時間まであと10分。
今日も俺は、この位置から動くことはなかった。

「早く俺をここから連れ出してくれる人が現れてくれないかな‥」そんな事を常日ごろ思う。

かと言って誰でもいい訳ではない。
俺の事を必要としてくれて、大切にしてくれる人がいい。それだったら‥

男でも女でも構わない。

そんな事を考えていると、一人の男性が血相を変えて店の中に入って来た。


『いらっしゃいませ』

入り口に立っていた女性従業員が、笑顔で挨拶をした後上体を前に倒した。だが、男性は目もくれず必死に店内を物色していた。新入りの女性従業員は、男性に話しかけるべきか、しばらく様子を見るか迷っていた。傍から見れば挙動不審者と何ら変わらない。


『はぁ~‥あと10分で閉店だったのに‥』

ショーウインドーを台ふきで綺麗にしていたもう一人の従業員が大きなため息を零した。憂鬱そうに男性に一度目を向けた後、重い足取りで近づいた。


『いらっしゃいませ。お客様は、どういった商品をお探しでしょうか?』


おいおい!?

一部始終を見ていた俺は、思わず突っ込みを入れたくなった。さっきまであんなにやる気がなさそうで、かったるそうで大きなため息までしていた従業員は、まさに天使のような顔をしていた。

すると、男性はショーウインドーから目をずらし従業員を見た。


『えっと~‥』

それだけ言うと、再びショーウインドーに目を移した。だが、明らかにさっきと様子が違う。瞬く間に全身が赤色に染まっていった。

閉店間際に血相を変えてくるくらいだからな。今になって、自分の突発的な行動に気が付いたんだろう。

俺は冷静な分析をしつつも「こいつのこと、嫌いじゃないな」と密かに思っていた。


『では、少しずつ絞っていきましょう』

その言葉で、なんとなく緊張が解れてきたように感じた。


今日は楽しくなりそうだ。
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