忘れられない人
こいつは、リビングの扉に背中を付けた状態のまま右手で扉をコンコンと叩いた。でも、返事が返ってこない。

コンコンともう一度叩いた後「入るぞー!!」と叫んでも‥返事がない。

焦る思いを押さえ、禁断の扉に手を伸ばし開けた。そこには‥


女の姿は見当たらない。

俺が想っているのと同時に『うわぁ~』と、この男が叫んだ。俺には何が変化しているのか分からない。だって、昨日からこの家に住むことになり、この部屋に来るのは初めてだから。

そんな俺にはお構いなしで、こいつは目を輝かせながら家具に向かって前進した。この様子からして、ずっと欲しかったものだろう。それを、女が内緒で用意していた。そんな所かな。俺なりの答えを導き出した。

こいつが触ったのは、ソファーとテーブルだった。手で肌触りを確かめたり匂いを嗅いでいた。


そんな事をしていると、部屋の奥から女の独り言が聞こえてきた。

『龍二、喜んでくれるかな?』

嬉しそうに鏡に映ってる自分に話しかけていた。


リュウジ?
龍二って‥もしかして、この男の名前か?
じゃあ、鏡の前に立っている女は‥「陽菜」か。

俺を買ってくれた男の‥「こいつ」の名前を漸く知ることが出来た。


こいつは、イヤ‥龍二は、バレないようにもう少し覗いていた。陽菜は、真剣な目をして前髪を整えていた。龍二に逢うだけなのに何度も何度も。

二人の姿が眩しいほど光って見えた。
それは、お世辞にも大人の恋愛とはいえない。ただ見ているだけで満足‥そんな純粋な恋愛を二人はしているように見えた。


龍二は、さっき以上に細心の注意を払いながら、リビングの扉の前に戻った。そして、いかにも「今部屋に入ってきました」という状況を作った。
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