忘れられない人
彼はね「お疲れさま」って言いながら私に近づいてきて、「夕飯何食べようか?」って違和感のない態度で3人の前を通過してくれたんだ。3人は呆気に取られた様子だったよ。

お酒が入っていたせいか、状況を把握するのが鈍っていたみたでね、私たちの後を追いかけるような事はなかったの。私はそれを見て、やっと恐怖から解放されて肩の力が抜けたんだ。

そんな私の態度を見て、彼が横で笑っていたの。


さっきまであんなに怖かったのに‥
彼の笑顔一つで、そんな思い‥何処かに吹っ飛んでしまったの。

いつの間にか、彼につられて私も一緒に笑っていたんだ。



少し車を走らせていたんだけどね、信号機が赤に変わったから車が止まったんだ。彼はまだ笑っていたんだけど、私は冷静さを取り戻してきたんだ。今の状況が徐々に分かってきて‥まずは「ありがとう」って彼にお礼を言ったの。

彼は一度私を横目で見てから「どういたしまして」って返事をしてくれたんだ。


走っている方向が、たまたま私の家の方だったから「この辺で大丈夫です」って言うとね‥

「食事でも‥どう?」って彼から誘われたの。もちろん嬉しかったよ。でもね、突然の誘いに驚いて返事なんて出来なかった。

挙動不審な態度を見て、彼はまた笑い始めたの。そんな彼を見たら私も可笑しくなってきちゃってね。私も笑ってしまったの。


するとね、急に今度は冷静な顔で「メールの返信しなくてごめんな」って謝ってきたの。さっきの出来事で、そんな事すっかり忘れてたよ。

「それから‥店にも顔出さなくてごめん」って。メールの返信はともかく、店に来なくなった理由は知りたかったから「仕事だったんでしょ?」って聞いたんだ。彼は今までで一番の低い声で「うん」って返事をしたの。


私は、理由が「仕事」だったから安心した。


イヤ、違う。
理由が聞けたからじゃなくて、今、彼と一緒にいる事に私は安心してた。

もう逢えないんじゃないかって思っていたから‥
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