忘れられない人
『な、何で部屋に入ってきてるのよ!?私まだ‥』

頬を大きく膨らませて怒っている。でも、そんなの全然怖くなんかない。むしろ可愛い。俺は「悪い」と素っ気無く言いながら陽菜に近づいた。

『今日、何かいつもと感じが違う。前髪かな?何かした?』

すると陽菜の様子が急変した。さっきまで怒っていたのに照れ笑いをしながら俯いた。

『ううん。何もしてないよ』

嘘をついている事は分かっていたけど、陽菜が嬉しそうだったのでそれ以上追求はしなかった。

『気のせいか』

『そうだよ』

短く返事をして俺に向かって微笑みながら、腕に寄りかかってきた。髪の毛の感触と程よい体温が伝わってきて、俺は昨日と同じ行動を起しそうになった。今すぐ抱きしめて唇を奪いたい。

でも、陽菜の気持ちを無視して暴走したくなかったので、自分を抑え何もしなかった。俺は、真剣に整えていた陽菜の前髪をクシャクシャにして間接的に離れるように指示を送った。

『もう、何するの?』

機嫌を損ねてしまったが、襲って気付けるより全然良い。薄っすら笑みをうかべて「何のこと?」と言いながら真新しいソファーに座った。座り心地は完璧だった。陽菜が俺の顔を覗いてきたとき目を閉じた。気配で笑っているのが分かり、しばらく眠ったフリをしていた。


起されたのではなくコーヒーの香りで目が覚めた。今までとは全然違う本場の香りがした。

『お客様、ご注文はお決まりでしょうか?』

陽菜が店員もどきをしていた。俺もついつい乗ってしまいケーキを注文すると、本当にテーブルまで運んでくれた。唖然とした顔で見上げると陽菜は笑っていた。

『他にご注文は?』

俺は笑いながら「大切な彼女が来るのでもういいです」と断った。すると店員さんは「あなたの彼女が羨ましいです」と言って下がって行った。そしてエプロンを外した陽菜が俺の前に現れた。
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