忘れられない人
『陽菜、おやつだよ』

そう言うと陽菜は喜んで真新しいソファーの上に座って行儀良く俺の言葉を待った。「食べていいよ」と言うまで手を付けないように調教してあり、それを忠実に守る可愛い陽菜ネコ。俺はじらすだけじらしてからネコにおやつを与えた。

美味しそうに食べるネコ。
そんな姿を見ていたら、おやつに用意したケーキを食べたくなった。キッチンに行けば冷蔵庫の中に俺用に買っておいたケーキがあるけど、俺が食べたいのは目の前にあるケーキ。どうしたら、これを食べることが出来るのか考えた。

そしてある結論に辿り着いた。


『陽菜!俺にもケーキ頂戴』

すると、ネコは喜んでお皿を俺の前に移動させた。テーブルの上にひじを乗せて掌の上に顎を置きながら羨ましそうに俺を見てきた。一口ケーキを口に運ぶとネコがしゃべった。

『美味しい?』

ネコの尻尾が左右に揺れている姿が俺には見えた。嬉しいときのサインだ。それなのに俺はあえて冷たく接した。

『ネコはしゃべらないんだよ?』

と。


さっきまで左右に揺れ動いていた尻尾は、年齢を重ねたネコの様に萎れて動かなくなってしまった。喜怒哀楽が激しいネコを、もっといじめたくなった俺は再びケーキをネコの口に運んだ。

フォークごとかぶりつき両目を瞑って幸せそうな顔をしていた。


『じゃあ、今度は俺にもケーキ頂戴?』

陽菜は不思議そうな顔で見てきた。


そう。俺が考えた陽菜への愛情表現(いじめ)の最終目的地はここだった。言い換えれば、陽菜の願いと交換に「これ」がしたかったのだ。陽菜に食べさせてもらうこと。

いつも考えてた。陽菜と甘い時間を過ごすなら、どんなシチュエーションだろうって。普通のデートならベタすぎる。でも昨日、陽菜の方から「家デート」の話を持ちかけられたとき、実行するならこの日しかないと思った。

それを実行するには俺と陽菜の間に主従関係がないと成立しない。そのためにお互いの条件を呑むと言う交渉をし、陽菜は納得した。


そして‥ようやく俺の願いが叶うときが来た。
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