忘れられない人
そんな事を考えていたら、徐々に渇き始めていた掌が汗ばみ始めた。俺は、平然を装うために陽菜に話しかけた。

『陽菜!俺にもケーキ頂戴』

すると、陽菜は起き上がって喜んでお皿を俺の前に移動させた。テーブルの上にひじを乗せて掌の上に顎を置きながら羨ましそうに俺を見てきた。一口ケーキを口に運ぶと陽菜がしゃべった。

『美味しい?』

と。

俺は驚いてその場で立ち上がった。このシーン‥さっき俺が過ごした時間とそっくりだ!?

でも、すぐに冷静さを取り戻した。「いや待てよ。たまたま同じ行動で同じ言葉を発したのかもしれない」ぶつぶつ言いながら同じ場所に腰掛けた。同じかどうか、もう一度さっきと同じ言動をしようと心に決めて。


俺はケーキ一口サイズにフォークにとり陽菜の口に運んだ。フォークごとかぶりつき両目を瞑って幸せそうな顔をしていた。

『じゃあ、今度は俺にもケーキ頂戴?』

陽菜は不思議そうな顔で見てきた。でもすぐに俺の指示通り少し震えた手でケーキをカットし、俺の口の近くまで運んできた。

『はい‥』

このときはまだ下を向いていて、俺と目を合わせようとしなかった。それがかえって俺の心臓の鼓動を早めることに繋がっていた。

『あーん‥って‥して?』

そう言いながら潤んだ瞳で俺を見てきた。心臓が破裂しそうなくらいパンパンに膨らんでいるのが分かった。平然を装うために陽菜から視線を外してキッチンの方を見た。

『ど、どう?美味しい‥?』


やっぱり、さっき俺の身に起こったが再び現実として起きている。これが現実なら、さっきの続きは自分で作らなければいけないって事か?

とりあえず、陽菜が不安そうな顔で見ているから、俺は視線を外したままの状態で「おう」と、素っ気無い返事をした。陽菜は「クスッ」と笑いながら

『もっと欲しいでしょう』

と、嬉しそうに何度も何度も俺の口にケーキを運んだ。あれだけケーキを食べさせられたのに体は拒絶しなかった。


でも、さすがに限界は近づいていた。

『お、おい!俺もうこれ以上は食べれな‥‥!!』

しゃべっている途中に運び込まれたケーキは、コントのワンシーンにありそうな光景を生み出した。
< 98 / 140 >

この作品をシェア

pagetop