倦む日々を、愛で。
「おはよ」
その思考を遮るように鮮やかな声が僕のそばで響いた。
「あ、おはよう」
友達の彼女だ。僕の手にある漫画を見て、人懐こい笑顔で話しかけてくる。
「この漫画面白いよね。あたしも好き」
「そうなんだ」
少しどぎまぎしながら返事をする。「次の巻、買ったら回そうか?」
「あ、ううん、あたしも集めてるからいい。ありがとうね」
そう微笑むと彼氏の所へ行ってしまった。
あぁ、耳にドアがあったらいいのに。
振り返らない背中を見ながら思う。耳にドアがあったらこの鮮やかな声を閉じ込めて鳴り響く限り、余韻まで浸れるのに。
叶わない願いとともに視線を手元に落とす。返ってきた漫画をめくれば扉絵の向こうの違う世界へ、するりと入り込める。
あの子の扉はどこにあるんだろう。
彼氏と笑い合う背中を見つめながら思う。その扉に触れたなら、ついっと開くだろうか。それとも鍵がかかってたりして…そもそも触ることができるかどうか。あの子には彼がいるし、触った途端に電気ショックで感電死、なんて…彼女ならそれもいいかも。
見えないその扉をいとも簡単に開けてしまった友達を少し恨めしく思ったりしながら、変わらない現実の扉を閉め、僕はしばし漫画の世界に旅するのであった。
《おわり》