コーヒー溺路線
 

松太郎は彩子を見る度に胸が潰れるような想いでいた。彩子がいない時でさえ彩子のことを考えているのだ。
 

最初で最後だと松太郎が彩子を抱いたあの日から、事務的な用事以外では松太郎と彩子とは話をしていない。
 


 
「藤山君」
 


 
部長の根岸が不意に松太郎を呼んだ。根岸の手には電話の子機がある。どうやら自分に電話のようだと松太郎は察し、根岸の側に近寄った。
 


 
「内線から、誰ですか?」
 

 
「いや、それが」
 


 
根岸は電話の相手を言うのを渋り、松太郎はそれを不思議に思いながら子機を受け取った。
 

受話器に耳をあてて藤山ですがと松太郎が言った後に、癪に触る声がした。
 


 
「さすが私の息子だな、松太郎」
 

 
「……。なるほど、貴方でしたか」
 


 
松太郎の父親の秀樹だ。
 


 
「どうしたんですか。社内から電話だなんて珍しいですね」
 

 
「縁を切ったらしいじゃないか」
 

 
「え?」
 


 
松太郎は驚愕した。
早い。もう秀樹にまで彩子との話が届いているのだ。
根岸が言ったのだろうなと松太郎はぼんやりと思った。
 


 
「見合いの後は何度か食事をして、それから両社合同婚約披露パーティーをするそうだ」
 

 
「見合い?冗談じゃない。俺は婚約披露だってしない」
 

 
「松太郎。昔から、いつかはある婚約の破談は許されないと解っていたはずだ」
 


 
松太郎は拳を握り締めた。
 


 
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