コーヒー溺路線
松太郎はいつものように七時に目覚めた。目覚し時計は使用していない。子供時代から植え付けられてきた体内時計なるものだ。
秋も深まってきたので目覚めた時の蒸し暑い不快感がなくなってきた。しかし松太郎の心底はもやもやとしたものがとぐろを巻いている。
「……」
寝惚けていても仕方がないので松太郎は体を起こしてベッドから降りた。
そのままキッチンへ向かって歩き、毎朝飲むコーヒーをいれた。
いつか彩子の部屋で見たマグカップと似た形、似た色のものを松太郎が探して買って、そしてそれを愛用しているというのは誰にも内緒である。
彩子と同様に松太郎はマグカップでコーヒーを飲むようになった。
「彩子」
松太郎はぽつりと呟いた。
久し振りに口にする名前だ。口にするまいと意識していた訳ではないが、やはりそれに抵抗はあった。
何より呼ぶ理由がない。彩子には届かないのだ。
「……」
いつもは飲み干すその旨いコーヒーも、今日の松太郎はマグカップの半分程も残して流しに置いてしまった。
早々に着替えて松太郎は部屋を出た。
いつもより三十分以上も早い時間だ。