コーヒー溺路線
「そっか、マスターはそういう学生時代を過ごしたからこんなに大人びているのね」
「ううん、ただのチキン野郎だよ」
「そんなことはないです。見ているだけで良いという気持ちが、今の私にはよく解ります」
「……。そうかい」
マスターは嬉しそうに微笑んだ。
彩子もようやく尖らせた唇の口角を上げ、いつものようににこりと微笑んだ。
マグカップはまだ空になっていないので、彩子は慌てて一口口に含んだ。
「あのね、マスター」
「なんだい」
彩子はマグカップを包み込む両手に少しだけ力を入れた。
「見ているだけで良いと思ってはいても、それじゃあ自分が幸せにはなれないよね」
「……ああ、そうだな」
「私だってひとりの女の子よ。両想いしか夢見ることはないし、結婚だって心底惚れて愛した人でないと嫌なの」
彩子の眼がいつかのように憂いを帯びて揺れている。
マスターは頷きながら、叶うはずのない恋に想いを馳せている。
いつから十も歳の離れた彩子を女性として見るようになったのだろう。その答えはいつまで経っても出はしない。
「本音を言うと、やっぱり結婚はしたいよね。好きな人と同じ部屋で毎日暮らすだなんて、素敵」
打って変わって彩子は恍惚とした表情でコーヒーを一口飲んだ。
マスターは切ない表情で、変わらず彩子を見つめていた。