コーヒー溺路線
この男性は声がとても良いなと思ったのは、いや、思ったと自覚したのは今であると彩子は思った。本当は初めて彩子と名前を呼ばれた時から心地の良い低い声だと、聞き惚れていたのだろう。
二人はそんな他愛ない話をしながらビルディングに入った。ビルディングの中は外とは比べ物にならない程に冷えていた。
「冷房が少し効き過ぎですかね」
松太郎の隣りで自分の腕をさすりながら彩子はきょろきょろとした後に目配せをした。そうだな、少しと答えた。
「頂きます」
「あ、藤山さんコーヒーはいかがです」
「よろしくお願いします」
さあ食べようとパックを開けるとふと思い出したように彩子は立ち上がった。コーヒーを注ぎに給湯室へ行った彩子を松太郎はいつまでも見ていた。
「遅いな」
ぽつりと松太郎が呟いた。
あれから数分経ったが彩子が戻ってくる気配が全くないのである。松太郎は腹が空いたなと思いながら、それは彩子も一緒だと思いまだ冷やしうどんには口を付けていない。
そんなことを思っていると彩子が湯気の立つコーヒーを持って戻ってきた。
「あっ、先に食べていて下されば良かったのに」
驚きの一言を漏らすと彩子はコーヒーの入ったコーヒーカップを松太郎の前に置き、松太郎の向かい側の椅子に腰掛けた。
「いや、なかなか戻って来ないから。先に食べるのも悪いしね」
「またコーヒーのおかわりを頼まれていたんです、それを注いで配ったあとに藤山さんのをいれようと思って」