コーヒー溺路線
あの日、彩子はそう言って笑ったのだ。
それからマスターがこの伝言を松太郎に伝えることができたのは、あの九月のある日から一年程経ったある日だった。
「マスター、ご無沙汰しております」
「藤山くん!」
バツが悪そうに松太郎は首を竦めてコーヒーショップに入ってきた。
いつものようにマスターはコーヒーをいれて、松太郎へ差し出した。
「どうしたんだい、長い間姿を見掛けないと思っていたところだよ」
「実は仕事が変わって忙しくなったおかげで、今プライベートがあまりないんです」
マスターが久し振りに見る松太郎はグッタリとしていて余程疲れているらしい。
しかしマスターは内心安堵の溜め息を吐いていた。
彩子の伝言を預かってからまだ一年しか経っていない。彩子はこれから幸せな生活を送ることができるのだと思うと、マスターは天にも昇る気持ちだった。
松太郎はゆっくりとコーヒーを口にした。
「旨いなあ……。仕事が変わってしまってから、もちろん彩子とも同じ部署ではなくなってしまったので、こんなに旨いコーヒーは久し振りです」
「そうか、ありがとう。藤山君、これを」
マスターはこの一年間ずっとエプロンのポケットへ大切に持っていた、あの桃色のリボンのかかった鍵を取り出した。
そしてそれを松太郎に渡す。松太郎は不思議そうにその鍵をまじまじと見た。