コーヒー溺路線
 

結婚して間もなく靖彦は人事異動によって他の部署へ勤務することになった。寂しい気持ちを抑えながら彩子は毎日を過ごしたが、靖彦は大抵定時に帰宅していたし遅くなっても残業二時間あるいは付き合いの会食程度だった。定時はどこの部署も六時である。
 

仕事が忙しくなった靖彦が帰ってくるまで彩子はコーヒーショップに通った。
 


 
「マスター、今晩は」
 

 
「今晩は、彩子ちゃん。仕事お疲れ様」
 

 
「ありがとうございます」
 

 
「今日も一杯飲んで行くか?」
 

 
「ぜひ頂きます」
 


 
仕事で疲れた体はこの店のコーヒーとマスターが癒してくれる。彩子は大学時代からこの店を心の拠り所にしている。
 


 
「どうなんだ、旦那様とは」
 

 
「うん、まあまあかな」
 

 
「まあまあ?結婚したてだというのに新婚生活を堪能していないようだな」
 

 
「何と言うか、人事異動があってからはすれ違いが多いので」
 


 
少し、と微笑んで彩子は肩をすくめる。マスターはそんな彩子を見て目を細めた。
 

コーヒーが沸き上がった音がすると、マスターは黙ったままマグカップを取り出す。
 


 
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