コーヒー溺路線
その扉を開くと、カランコロンと景気の良い音がした。
松太郎は行きつけのカフェに入ると、まず店内をぐるりと見渡した。
以前と変わらず客足が多いわけではない。
しかし、気に入るとここから外へ出たくないような気持ちになる。
カウンターの端の席で本を読んでいるらしい老人男性もそうなのだと思われる。
「やあ、とても懐かしい客だ」
松太郎の存在に気付いたこの店のマスターは、いくらか嬉しそうに微笑む。
変わらないその顎の下の無精髭はいつ見ても落ち着くなと松太郎は思った。
「どうした、アメリカに仕事をしに行ったんじゃあなかったかい?」
「ついに日本を拠点に仕事をすると決めたんだ。やっぱりここのコーヒーと和食が恋しくてね」
「そうか、いや久しぶりだ」
「一杯だけもらおうか。久しぶりに会えたというのに申し訳がない、一杯飲んだら一度親父に顔を見せにゆくつもりなんだ」
「ああ、久しぶりにとびきり旨いコーヒーをいれてやるさ」
「光栄だ」
しばらくコーヒー豆の匂いに酔い痴れていると、目の前に一杯のコーヒーが出された。
「そうそう、この匂いだ」
ゆっくりとコーヒーカップに口を付けた。
松太郎はそのままコーヒーの匂いで肺を一杯にし、何度か飲んだ。
コーヒーカップが綺麗な状態に戻ると、松太郎は千円札をカップの隣りに置いて立ち上がった。
「つりはいらない、チップだ」
「ありがとうよ」