コーヒー溺路線
コーヒーをいれ終えてマグカップに一口口を付けると彩子は携帯電話のディスプレイを覗き込んだ。
メモリーから「藤山松太郎」という名前を見付けだし、松太郎の携帯電話の電話番号を呼び出した。
そのままの状態で彩子は、そういえば電話番号を知っているだけで自分は松太郎に電話をかけたことがないなと思った。
知っている相手とはいえ、全く電話をかけたことのない相手に電話をかけるということは、彩子にはとても勇気が要ることのように思えた。
鼓動が速くなるのを自覚しながら、彩子はマグカップをガラステーブルに置くと立ち上がり、勢いよく通話ボタンを押した。
「っ……」
携帯電話の上部のスピーカーから呼び出し音が聞こえ始める。彩子はそこから非常にゆっくりとした動作でそのスピーカーに耳をあてた。
必要以上に心臓が脈を打っているらしい。
息が苦しくなる感覚に彩子は酷く狼狽していた。
「はい」
スピーカーの向こう側から松太郎のものであろう低めの声がする。
彩子ははっと息を飲んで携帯電話を握り締めた。手の平はじとりと汗をかいている。
「……」
「あの、富田さんだよね」
「あっ、すみません、藤山さん」
松太郎の声にどきりとして我に返った彩子に、良かった、と一言松太郎は言った。