コーヒー溺路線
 

「今日は、俺と言わないなと思って……」
 


 
それだけ言うと彩子は恥ずかしそうに目を伏せた。松太郎は虚を突かれたような顔で彩子を見ている。
 

酔っていたのに、そういうことは覚えているのかと松太郎は何故かおかしくなり笑った。彩子はこちらの顔色を窺うようにそっと眼を動かした。
 


 
「俺、と言った方が良いのかな」
 

 
「あ、なんだかその方が近く感じるなと思って」
 


 
人に対してなんだか敏感な女性だと松太郎は思った。少し赤く色付いた頬が彩子には似つかわしい。
 


 
「富田さんは、敬語を止めないのかな」
 

 
「えっ」
 

 
「君の話す敬語で、俺は遠く感じるよ」
 

 
「そんな……」
 


 
急に言われた「俺」という言葉と、職業病のようになっている敬語への指摘で彩子はどきりとした。
 

まずい、彩子は再びそう思った。
自分から松太郎に歩み寄ったことで相手が自分へと入り込んで来る。厄介だ、どうしよう、どうすれば回避できるだろうか。
 


 
「藤山さんは私より三つも年が上です、敬語を止めるということは失礼になると思うのでできません……」
 


 
早口に言い終えた彩子に松太郎は苦笑と溜め息を漏らして、そうか残念だなと呟いた。
 


 
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