コーヒー溺路線
女性を抱き締める腕がこれ程に震えたのは、初恋の彼女を初めて抱き締めた時以来だ。
あれは松太郎が中学生の頃だったか、高校生の頃だったか。
彩子は松太郎の胸に額を擦り寄せた。
「流されないって、決めたのに」
彩子が消えるようなくぐもった声で言う。
息が上手くできない、松太郎は彩子の肩越しに息を深く吸い込んだ。
彩子の体は小さい。
「彩子、って呼んでも良いかな」
「好きに呼んで下さい」
本当は会った瞬間から、きっと魅かれていたのだ。
お互いが言葉で壁を作っていたというのに気が付いた時にはもう踏み込んでいる。
なんだか怖くなった。
「藤山さん……」
「……」
「藤山さん?」
名前を呼んでも返事をしない松太郎を不思議に思い、彩子はゆっくりと顔を上げて松太郎の顔を覗き込んだ。
松太郎は少し不満そうな顔で彩子を見た。
どうしたのかと聞くと、松太郎は彩子に名前で呼んで欲しいらしい。彩子がそんな松太郎を可愛いと思ってしまったのは、秘密だ。