翼に甘くキスをして
「ヒロくん‥」

「翼っ」



泣かないで‥って声をかけたかったんだ。

でもね、ヒロくん自身がそうさせてくれなかった。



「翼っ、病院に戻ろう。学校なんてお前の来る所じゃない」



ズキン‥と、胸に何かが刺さったような気がして言葉が詰まる。

私が学校に行くことを最後まで反対していたヒロくん。

それでも、春には笑顔で頷いてくれていたのに。



「解ったろ? 外の人間は冷たいやつらばっかりだったろ?」



ヒロくんはそう……
泣いてしまいそうで。

でもそれは、何への涙なの?



「戻ろう? な?」



戻る? あの箱に?


私は考えていた。真っ白な狭い箱の中、自由が欲しくて、欲しくて欲しくて欲しくて。

ずっと外に出してはもらえなかった。

太陽の光を直に長く浴びてはいけない病気なんだと、ただただそう言われ続けていたから。


私の居た病室はとても広くて、トイレもお風呂もあったし、小さな台所まであった。

その部屋から出る事を許されるのは、検査の時だけ。

その時だけが私に与えられた自由だった。

その時だけが、他の患者さんと友達になれるチャンスだった。


僅かに与えられた自由。
楽しかった。

楽しかったけれど、友達になった患者さんはみんな例外なく太陽の下に出られたわ。


窓枠に肘を置きながら眺めていた中庭。

みんなは笑って手を振ってくれた。キラキラ、きらきらと、太陽の光を浴びながら。



「少し‥離れた方が良いわね」



そう声を落としたのは華さんだった。華さんは大きく息を吐き出し、私に向かって手を伸ばす。



「風也、火野、良いわね?」



その手を取ると、ポスンと柔らかい胸に顔が埋まった。



「なにが良いわねだよっ。俺の翼だっ!! くそっ、離せ大地っ」



その荒げた声は誰のもの?

華さんが私の頭を押し込むから。苦しくて、真っ暗で、何も見えないの。


そして華さんは、強く私の頭を掴みながら歩き出した。それはまるで、周りを見せないようにしているみたい。


ヒロくんの、私を呼ぶ声が遠くなって。

聞こえなくなって。


薄曇りの空の下、足早に灰色のレンガ道を通り過ぎた。


太陽の光が弱い。弱くて弱くて、今にも消えてしまいそう。



紫陽花がね、もうすぐ色を付けるわ。

それは……何色になるのかな。
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