ちはる
悪夢
 薄暗い雑木林の中をたったひとりで奥へ奥へ、そろりそろりと幼い少女は歩いていた。その足取りには何の迷いもなく、目には恐怖の色もない。
 霧が立ちこめる中、辺りは足音さえも呑み込む程の静けさに包まれている。
 林を抜けると目の前で突然道は途切れ、割れた地面。向こう岸までは5メートル。飛び越えられる距離ではない。向こうにはまた真っ暗な林が続いている。
 吸い込まれそうな深い谷。真っ暗で底は見えない。
 谷には大きな丸太の橋が掛かっていた。少女は丸太によじのぼって渡り始め、真ん中辺りで腰を下ろした。
 闇と静けさの中、横向きに座り、谷底に向かって両足をぶらりと下ろす。
 恐がりもせず、平然とした様子はまるで催眠術にでも掛かっているかのよう。
 いつの間にか、周りの景色はジャングルに変わっていた。日の射さない不気味なジャングル・・・。
 ぐらぐらぐらっ!
 突然、お尻の下が揺れたかと思うと、ぬるぬると冷たく湿った異様な感触が少女の肌に伝わった。
 行く手に目を向けると、ひと抱えもあるような大きな蛇の鎌首が持ち上がった!こちらを見据え、ヌーっと迫る!
 不気味に光る二つの目、ちょろちょろと見え隠れする炎のような真っ赤な舌・・・。橋は丸太ではなく、人などひと飲みにするほどの大蛇だった。始めからそうだったのか、それとも途中で変身したのか?
 急に少女は正気に戻り、全身を恐怖が走った!
〈助けて!〉
 叫びたいのに喉が詰まって声が出ず、逃れたいのに動くこともできず、ただその場でもがきながら助けを求め、泣きながら宙を掴んだ!

 



 少女の名は千春。
 初めてこの夢を見たのは、田宮家に引き取られた最初の晩だった。
 そして、度々同じ悪夢にうなされた。
 目が覚めても身体の震えは止まらず、溜まった涙でなかなか目が開かない。夜、眠りにつくのが怖くて不安な日々が続いた。
 その夜もまた、千春はいつもの夢にうなされながら全身に汗をかき、両手を宙に彷徨わせていた。と、その手を温かい手がギュッと掴んだ。
「・・・千春・・・千春・・・夢を見てるのか?・・・千春・・・」
 遠くから聞こえた優しい声が、逃れられないはずの恐怖を覚ました。
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