虹が架かるまで
小学校3年生から
ミニバスをやっていた僕は
中学校でも当然のように
(或いは必然のように、
または惰性かもしれない)
バスケ部へと入部した。
中学1年で背丈が
すでに175cmあり、
3Pシューターとして
実力があった僕は
入部してすぐに
レギュラーとして
試合に出場していた。
最初の内は先輩たちや
同級生たちも僕を褒め称え、
随分と良くしてくれた。
しかし、そんな日々は
長くは続かなかった。
試合に出られる人間が
存在しているということは
出られない人間が
存在するということ。
そして当時中学1年生の僕が
全日中の地区予選に出るという
事実、それは
3年生のラストチャンスを奪った
という事実、そのものであった。
ミニバスをやっていた僕は
中学校でも当然のように
(或いは必然のように、
または惰性かもしれない)
バスケ部へと入部した。
中学1年で背丈が
すでに175cmあり、
3Pシューターとして
実力があった僕は
入部してすぐに
レギュラーとして
試合に出場していた。
最初の内は先輩たちや
同級生たちも僕を褒め称え、
随分と良くしてくれた。
しかし、そんな日々は
長くは続かなかった。
試合に出られる人間が
存在しているということは
出られない人間が
存在するということ。
そして当時中学1年生の僕が
全日中の地区予選に出るという
事実、それは
3年生のラストチャンスを奪った
という事実、そのものであった。