渇望-gentle heart-
「馬鹿、すげぇ走ったよ、俺。
つか、早く百合の顔見たかったから、ホント急いで来た。」


「ねぇ、もう帰ろうよ。」


「そうだよな。
こんな街に長居してたら、大切なものを見失いそうだ。」


「そんな簡単に見失うものなんかいらないよ。」


百合が笑うから、また俺も笑った。


笑った後で、気付けば百合を抱き締めていた。



「ちょっ、ジュン?」


「ごめん。
でも、少しで良いからこうしてて。」


人混みの中、汗ばむ体にきつく力を込めた時、戻って来てくれて良かったと、心の底から思ってしまう。


百合は困ったような顔をした後で、



「瑠衣がね、ジュンにもありがとうって伝えて、って。」


それはひどく意外な言葉だった。


けれど百合は、言ってから、俺の顔を真っ直ぐに見上げる。



「あたしもね、早くジュンの顔が見たかったの。」


「おいおい、どうしたんだよ?」


「いっつもさ、ありがとね、って、ちゃんとジュンに言いたかったから。」


過去の積み重ねの上に今があるというけれど。


百合の言葉を噛み締めた時、馬鹿みたいに泣きそうになっている自分がいて、俺は苦笑いだけを混じらせた。


今日だけ特別だと言った百合と手を繋ぎ、あの頃、苦楽を生きた街に背を向ける。

< 38 / 115 >

この作品をシェア

pagetop