渇望-gentle heart-
穏やかな風に包まれた、夏の夜。


2日間ここに滞在したお母さんもいなくなり、俺達はふたり、庭で夜空を見上げながらアイスを頬張っていた。



「ママな、ピアノの先生やねん。」


真綾は思い出したように言う。



「夜更かししてたらな、シューベルトの“魔王”って曲を弾いて、それが怖いメロディーで、うち速攻布団に潜り込んで。」


「面白いな、それ。」


そうやねん、と言った彼女は、



「家にはいっつもピアノの音色があった。
ママの指は魔法みたいに動いてて、幼心にそれってすごいなぁ、って思ってて。」


「真綾は弾かないの?」


「うちは不器用やから、ママみたいにはなれへんよ。」


けど、ピアノは今でも大好きやねん。


懐かしむように、思い出すように言った真綾の横顔と、バニラ味のアイス。


俺は笑った。



「憧れるな、そういうの。」


「ジローのちっちゃい頃ってどんなんやったん?」


荒れてた記憶しかない、幼い頃の自分。


理由もないのに何もかもを憎みながら、馬鹿みたいなやつらを見下すように生きてきた。


綺麗なものから目を背け、真っ黒い中に染まろうとばかり。


けれど、



「俺、兄貴の真似ばっかして、ホントはすんごい泣き虫だったんだ。」

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